少し古いネタですが、この記事、みなさん驚きませんでした? 小学生以下を対象にした「大人になったらなりたいもの」調査、記事では水泳選手のランクインがクローズアップされているものの、さりげなく3位に「学者・博士」が。末は博士が大臣か、なんてもはや誰も言わないだろ、とか思っていたのですが、そして大臣はあまり人気がないようではあるのですが、野球選手、サッカー選手のつぎに学者・博士とは、いったい何が小さな子供たちの心に響いているのでしょうか? パイロットなんて華やか(そう)な仕事よりも上位じゃないですか。後々の参考に、理由を知っておきたいところです。
そう思ってウェブ上に公開された資料を参照すると、毎年「学者・博士」は上位の常連で、2002年などはスポーツ選手を抑えて1位に輝いているとか。この年は、日本人のノーベル賞受賞者が2人(小柴昌俊氏、田中耕一氏)出たために、特に人気が集まったとか。そうか、チビッ子たちには「ノーベル賞」ってすごいアピールがあるのか。昨年度もいろいろ話題になったし。結局、博士・学者って理系の皆さんのことなのね。でも、日本の作家がノーベル文学賞をとれば、「作家」が上位に浮上することもあるかも知れないですね。どっちにしても、文学の研究・批評には分が悪い。どうも、「学者・博士」という言葉に反応しすぎてしまったようで。
というわけで、子供たちに人気があるかないか分からない文学ですが、毎年文学賞というものは催され、最近も『群像』と『文学界』の新人賞が発表になりました。後者はイラン出身の方が受賞して、例年以上に話題になったように思います。今月『文学界』掲載の受賞コメントに、「夢のある人生」という言葉があるのをみて、文学にはまだ「夢」を提供する力が残っていたのか、と感慨にふけりました。外国語で書くことの難しさを少しは知っているつもりなので、作品の一語一語がどれだけ丁寧に選ばれているか、そちらに注目し、会話や心内語の処理の工夫など感心もしました。なぜ肉屋が関西弁なのかは気になりましたが――ちなみに、イランの田舎町が舞台の作品です。もっとも、この「白い紙」という作品を小説として読んだ場合、人物の造形、物語の展開、どちらもユニークとは言い難く、読まされながらも読後に深く残るものがない。深刻な内容ではあるが、そこに描かれる運命の儚さは、どこか物語の効果を高めるために使われているような印象を与えてしまう。どうしてだろう。あるいは、運命に拮抗させるべき夢の力をもっと深く抉り取れば、読後感は違ってきたのかもしれません。ともあれ、これからこの新人と呼ばれる「白い紙」がどのような色彩に染められていくのか、楽しみです。
いま、私たちの世界で、小説が扱うべき事柄は実にたくさんあります。たとえば中東で起きていることにしても、決して私たちと無関係ではない。きれいごとではなく、いま、この社会の生き辛さや経済の不安は、すべて国内だけではなく、この世界の問題でもあるという想像力がなければ、きっと大事なものをとり逃してしまう。逆に言えば、目の前にひろがる何でもない光景がどこかでこの世界の根本的な何かとつながっていると想像することに成功すれば、そこに「お話」ではない、いま、このときを抉り取った小説が生まれるでしょう。その意味で、『群像』の小説部門当選作「カメレオン狂のための戦争学習帳」は、ニュースで報道されるような戦争ではなく、地方都市の高校の教員寮で繰り広げられる政治劇を描いているのですが、この作品は常に、小社会の不穏な状況が、どこかで「この世界」の不安とつながっている(かもしれない)という意識に貫かれています。そして、この作者の受賞コメントを読むと、単に世の中に出ている情報を追うことが小説のアクチュアリティを保証するのではないことも、十分自覚されているようです。この主人公が巻き込まれる世界は悪夢もいいところですが、小説が現実に足を生やすためには妄想とすれすれの想像力が必要であることを、はっきりと示してくれています。『ABC戦争』など、阿部和重の作品の好きな方にはお薦めします。
時間がなくて、あまり参考にならない議論ばかりで申し訳ないです。作品紹介には抽象的過ぎるし、小説批評としては緻密さに欠けているものになってしまいました。
群像新人賞、評論部門は、また時間ができたら触れます。
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